コミュニケーション強者とはこういう人を言うのだろう。

http://d.hatena.ne.jp/umikaji/20080626/1214489444


〜つまらない身の上話ゾーン〜




ぶっちゃけ、かなり最近まで「コミュニケーションってなに?おいしいの?」でした。
小学校時代は持ち前の軽いノリが通用しクラスでも目立つほうのグループに入ったりもしてましたが、中学ではそのノリが通用しなくなり怖気づいてマイナーな運動部に誘われるがままに入ったのが運の尽きか、結局gdgdなりつつも適度な交友関係は築けておりましたが・・・
下手にちょっと良さげな高校に入れたせいか、交友関係を築けてた連中はほとんど別の高校へ。知り合いがほとんど居ないまま部活もスルーし、延々ネトゲばかりやってた気がします。
入学から半年以上そんな生活を送ってましたが、文化祭だかの打ち上げを境に転機が訪れました。
キッカケは誰かが持ってきたカード麻雀。
たまたま教室の一角でそれをやってた連中が目に入り、先日の打ち上げで話したやつもちらほらと居て・・・今にして思えばほんと今さらですが、ようやくクラスに馴染みだしました(苦笑
そこからは度々学校外での集まりやら徹マンやらのお誘いが来るようになったり。
何とか高校生活もそれなりに楽しんで切り抜けました。
大学になると一浪した時間も手伝ってか、もはや悟りの境地といいますか、ほとんどひとりで過ごすのに慣れてしまい。
入学直後の唯一の交友関係を築く機会も、集まった面子があまりに個性的過ぎて接触を躊躇った間に過ぎていきました。
さて、そんな大学生活も過ぎていく中、大学生になったこともあり親からの小遣いがなくなりました。
浪人中に得てしまったヲタク属性のせいもあり、出費も中々のもので、大学入学祝いも徐々に削られていきました。
そんな中しぶしぶやったのが、高校時代に幾度かチラシを貰ったことのある郵便配達のバイト。
元々知識の豊富な大人と会話するのは自身の教養を身につけるという意味でも嫌いではなかったので、それなりに職員とのコミュニケーションは成立しました。


それから暫くして。
ヲタクへの道をどんどん深入りし、段々周囲との認識に溝を感じるようなところ(同人誌やギャルゲなどに対する反応的な)まで辿り着きました。
なんていうんでしょうか。
ここまで来ると、なぜ今まで知らない人と話すことに対して「恥ずかしい思い」を感じていたのかさえ疑問に思えてきました。
別に趣味がどうとか以前の話として、相手に自分がどう思われようがそれが偽りない自分なのだから仕方がない、最低限相手とのコミュニケーションを取らなければやっていけない(自分の不利益に直結する)などなどを考えるようになり・・・
すると自然と口が勝手に動くようになりました。
ぶっ飛んだ話ですが、二次元に重点が移っていった結果、自分の中での三次元での重要性が薄れ、リスクを恐れなくなったからかもしれません。
もっとも、三次元を捨てるようなことは人間としての大事な何かを捨てるのと同義であり、あくまで普通の人間としての立ち振る舞いや思考回路を持ち続けたいものですが。
例えば、二次元にいくらうつつを抜かしたからといって、いかにもヲタな格好(髪ぼさぼさ、服しわくちゃぐでぐで、異臭を放つ)はもってのほか、日常会話においてもしきりにヲタなトークに身を任せるなんて痛いキャラになりたくはありません。


そんな道を辿ってきたわけですが、先月から始めたバイト先では中々マジメな青年と映っているようです。(そう思いたいだけでもあr(ry)
また、本屋というジャンルがら、ラノベを始めとしたそっち系のものも多々扱っており、ひょんなことからヲタであると知られたわけですが・・・
先輩のにーちゃんはしきりに「へー」「へぇー」と繰り返してました。ちなみににーちゃんはヲタではないものの、ひぐらしは好物だそうで。




〜つまらない身の上話ゾーン終わり〜




で、ここまできてやっと本題に戻るわけですが。
コミュニケーション強者になれとは言わないし、思わない。
けれど、昨今の就職活動においても重要視されているコミュニケーション能力を得ることは避けては通れない道であるといえよう。
別に人が嫌いでもいい。
そこまでいかなくても相手が嫌いでもいい。
人付き合いが苦手とか、口下手だとか、空気読めないとか、そんなのは後回し。
究極的な自己チュー理論で考えれば、現代で己が生きていくためにはやっぱり他人との接点は浅かれ薄かれ持たなければならないのである。
少なくてもニートや引きこもりになる要因のひとつはそういった他人とのつながりを持たない・持てないゆえのものである。
まさかなりたくてニートや引きこもりになってる人もまず居るまい。
そうなりたくなければ、まず熱中的なまでにのめりこめる金のかかる趣味を見つけろ。
そして一般的な社会が言うところの「普通の人間」の視点を身につけ、理解しろ。
そうすれば、まず金が必要になる。
働くことも趣味のためなら厭わなくなる。
そしてたとえ自分自身が疑問を持とうが仮初だろうが「普通の人間」の視点さえ身につければ、とりあえず何とかなる。本当の己を見せるのは、気の許せる友人が出来てからでもいいし、ネットの世界の友人でもいい。
そして人には慣れがある。慣れが出来れば余裕が生まれる。
一度環境にハマってしまえば、後は勝手にレベルアップしてく。


もしかしたら、果てはニートか引きこもりかと言われた人物でも、コミュニケーション強者と呼ばれる日が来るかもしれない。








・・・なんてな。
それっぽい終わらせ方をしてみたが、この理論が上手くいったとしてもリンク先の営業屋さんと同じにはならないだろうね。
なぜならあちらは「人が好き」だと思われるが、自分の発想は「自分が好き」に基づくからだ。
別にナルシストがどうとかじゃない。
あくまで利己的発想の元での考えであり、コミュニケーションが上手くいくこともひいては自分の利益のためだから、ということに帰結する。
だからこそ、先天的な才能とも思えるコミュニケーション強者というものでも、別の観点からならば付け入る隙があるんじゃないか、と思ったわけだけれど。
そもそもコミュニケーションが下手な人って、どこかしら恥じらいが入るし、相手に好印象をもたれたいという前提、もとい絶対条件がある感じですからね。
その点利己的発想の元でならば、失敗が苦にならない。
たとえ失敗しても次への糧になる。
相手に嫌われようが悪印象をもたれようが、事実以上の精神的ダメージは伴わない。
まぁそこまで開き直れるかが問題でもあるのでしょうけれど。


しかしまぁ、この垂れ流し文章、ワードにコピペってみたら実にA4用紙3枚分にもなるのね。
普通に大学のレポート3回分近いボリュームなんですが(苦笑